爺ちゃまのあちこち見てある記「時代屋」
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〜歴史の町「蒲原町」
「東海道五十三次」の中でも傑作の呼び名が高い「蒲原夜の雪」でも知られているここ「蒲原町」は江戸時代の宿場町の面影を色濃く残す宿場町で有名です。人が暮らす街並みや生活の中に受け継がれた街道の歴史と、その中で育まれてきた文化や食、工芸や遊び。これらを一堂に蒲原宿を「夢の蒲原町」で再現されています。
あなたも旅人になって東海道蒲原宿で江戸時代に戻って旅人の体験をしてみませんか?県、静岡新聞社・SBS静岡放送などでつくる「県美しいまちづくり推進協議会」にて旧五十嵐邸は静岡放送賞を受賞しました。
蒲原町はjr東海道線と東名高速に挟まれたひっそりとした街並みです。 県道396号線が現在の幹線道路になっていますが一歩裏通りに入ると時代を超えてまさに江戸時代に迷い込んだような気になります。
かなり狭い今では舗装された旧東海道は富士川を渡り切り突き当たったらすぐに始まります(入口の富士川沿い常夜灯が目印) いまでこそ近代的な建物が多くを占めてはいますが所々に時代の足跡を見ることができます。
改修工事が完了した国の登録有形文化財「旧五十嵐邸」(下段右画像)
薄緑色の外壁に壁のほとんどが窓というこの建物はいまは使われていないようですが、超モダンな風貌はいまでも充分住まえるほどの状態です。明るく清潔がもっとうの診療所をイメージして建てられたと充分に感じられるこの洋館は蒲原町のほぼ中央に位置します。
同邸は旧東海道沿いに建つ。大正3年ごろ所有者だった五十嵐氏が歯科を開業する際に建てられた医院兼住宅。その後二度の増改築を経て昭和15年ころに洋風建築として完成した。平成10年専門家による文化的価値が認められ蒲原町が土地と建物を取得、現在の一般公開に至る。
どこの町でも医者というのはえらくお金があったらしくてここ蒲原町にも同様の洋館がありました。 ハイカラなこの洋館もかつての診療所とのことでモダンな白壁(板張り)に囲まれたいかにも清潔な感じのする建物でした。 蒲原宿のほぼ中央にあり今でも住人がいて立派に誇らしげに我々を迎えてくれます。
蒲原の数ある「なまこ壁」のある家の中でひときわ奇麗に復元されたこの建物は黒はあくまでも黒く白はしっかりと白く江戸時代を代表するように私を迎えてくれました。格子窓の格子、間口を限りなく広くとった入口、低く重厚な屋根構造とどれをとっても時代を彷彿とさせる雰囲気をかもし出しておりました。後にけむるうす白い湯気?もいい雰囲気ですね。(上段右画像)
蒲原宿をほぼ中央あたりを歩いていたら偶然目にしました。 旧東海道も裏手の通りですが更にその裏手にこの土蔵がありました。写真では多少奇麗に修正してありまあまあ見られる程になっていますが実際はゾッとするほど古く薄汚れて異様な雰囲気の中にスーッと建っていたんです。思わず立ち止まりシャッターを切りましたが今考えるととても異様な建物だったような気がします
本陣は大名宿、本亭ともいわれ江戸時代に街道の宿場におかれました。勅使、大名、公家などの貴人が宿泊した大旅籠であったと伝えられています。ここ本陣は宿場のほぼ中央にあり塀で囲まれていかにも厳重そうにみえます。ちなみにこの建物は現在も人がすんでるらしくて「鈴木?」とかって表札がかけてありました。立ち木庭木も見事です。
表札は「鈴木」さんでした(笑)上で紹介しました「本陣」のちょうど真向かいにこの「和泉屋」があります。 今でこそ写真でも分かるように今時の販売機(飲料)がせっかくの雰囲気を損なっていますよね・・・でもそこは江戸時代から原型を留めた旅籠の貫禄ですね。間口の広さと格子の美しさは現在でも真似の出来ない技術だと実感しました。また当家は江戸時代に上旅籠を営んでいたそうで、今も残る二階の櫛型の手すりや看板掛けから突き出た腕木などに江戸時代の上旅籠の面影を見ることができます。
富士川を渡り岩淵渡船上がり場を右に見て左に急な坂を登りつめると岩淵小休本陣があります。所々にひっそりと据え付けられています常夜灯を数えつつ富士川沿いに蒲原町方面に下りますとこの「岩淵の一里塚」に出会えます。うっそうと茂った大木が当時の旅人を勇気付けたにちがいありません。
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