いにしえを偲ばせる街 舞阪町
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〜いにしえを偲ばせる街 舞阪町

舞阪町は静岡県の西部に位置し浜名湖と遠州灘に囲まれた街。古来、東海道沿いの宿場町として栄えた街との事です。
文献によりますと、この舞阪の地名は象嶋、廻沢、舞沢、前沢、前坂、舞阪と変わり明治22年の市町村制施行によって舞阪となったそうです。ここ舞阪は江戸時代には東海道五十三次の宿場町として栄え、対岸の新居宿(新居関所)とを結ぶ今切渡船場の重要な要所となった事は言うまでもありません。
舞阪町には長池から新町までを貫いている旧東海道松並木(町指定文化財)が現存しています。旅人が往来していた当時には両側の提に1420本の松が植えられていて、今現在でも約700メートルにわたって大小340本の見事な松並木が続いていて江戸時代にタイムスリップしたようです。

往来の激しい現在の国道を斜めに横切り旧東海道舞阪宿へと街道を進みます。
比較的軒の低い住宅が立ち並ぶ今現在の舞阪宿は建物そのものは現在建築が主で往時の面影は消えていましたが、路地の佇まいや雰囲気などは江戸時代に栄えた舞阪の宿の名残を感じることができます。
街中を散策していると何処からともなく潮の香りがしてきて、海や港が近いことをかじることができ宿場町でありながら漁師町でもある舞阪を知ることができますよ。
浜名湖を目指して街道を進むといよいよ左手に常夜灯があり立て札で構築の由来や歴史などを知ることも出来ます。

左の写真は雁木(がんげ)と言われている渡船場を再現したものです。この雁木は石垣を築き石畳を水際まで敷き詰めたもので幅10間(約18m)もあります。この渡船場は利用する階級によって分れ、北雁木は諸候用、中(本)雁木は武家用、南雁木は庶民や荷物の積み下ろしに使用されたとの事です。現存しているのは北雁木のみとの事。
この雁木のある通りを突っ切ると浜名漁港にでます。訪れた日は天候もよく丁度漁から帰ってくる漁船たちの勇姿を見ることができました。
黒煙をあげエンジンを吹かしてまるで車のように操る漁師の姿や港の中で行われているセリを取り囲む男たちを見て海の男達の力強さを目の当たりにほんとうに圧倒されます。

実のところ今日本来の目的は「てんぷら」なんです。
ちょうど一ヶ月位前の事ですが知人から美味しいと聞いて、早速食べに来たのですが、あまりの混雑ぶりでやむなく諦めた事がありまして今度が二度目の挑戦なのでした。この日は早めに着いたのでなんなく食する事ができて満足の一日であったことは言うまでもありません。
店の名前は「魚あら」結構有名らしくて著名人や有名人、芸能人などがお目当ての天婦羅を食べにきているらしくて、お店の壁には数人の色紙や写真なども掲示してありました。
この日も私たちが席についてから、どんどんとお客さんが訪れて待ち客もでる位に混雑して事にはほんとうに驚きました。たいして大きなお店でもないのですが何故なんでしょう?

答の知りたい方は是非、食べてみて下さい。この「魚あら」のすぐ近くに古風な佇まいの風格ある建屋を見つけました。下段に掲示した写真がその建屋です。
ここは舞阪宿脇本陣で江戸時代を経て大正時代には舞阪の役場として利用されていましたが様々な出来事の中で当時を偲ぶ町並みは失われてしまいましたが、天保九年建築の旧脇本陣「茗荷屋」(みょうがや)の上段の間があった書院棟が残されていて旧東海道では唯一の脇本陣遺構でこの貴重な脇本陣を後世に伝えようと建物を復元したものだそうです。
正面入り口には親切な女性がいて懇切丁寧にこの脇本陣の歴史などを説明してくれます。駐車場も完備されていてこの舞阪の歴史を垣間見ることができます。


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